東京都市大学 等々力中学校・高等学校同窓会

同窓会事務局ブログ詳細

五島慶太翁1882/4/18-1959/8/14

 私たちの母校、東横学園そして現在の都市大等々力中高の創立者、五島慶太先生は1882年4月18日長野県小県郡の農家の二男として生まれました。
 ですから2012年に生誕130年を迎えました。
 
 最近生徒に創立者五島慶太先生の経歴や偉大な功績をしらせ、現在の都市大学等々力の歴史を通して五島先生について学ぶ学校行事が行われています。
 今年は5月9日「慶太先生を学ぶ会」が行われます。

 経歴
1882年4月長野県に誕生 父小林菊右衛門 母寿ゑ 
1911年貧困のため様々な代用教員を続けながら最高学府での勉学を希求し、東京帝国大学を29歳で卒業
1911年農商務省に入省
1012年久米万千代と結婚 結婚後に妻の祖母の実家の五島姓を名乗る
1013年鉄道院官僚
1920年民間企業 武蔵電気鉄道(現在の東急東横線の母体)に就職
1924年目蒲線の全線開通
1924年東京工業大学を浅草区から大岡山へ移転
1927年東横線全線開通
1929年慶応義塾大学に日吉台の土地を無償提供
1931年日本医科大学に武蔵小杉の土地を無償提供
1932年東京府立高校(東京都立大学)を八雲に誘致
1934年渋谷に東横百貨店開業
1936年東京青山師範学校(東京学芸大学)に資金援助し世田谷下馬に誘致し東横沿線を学園都市とした
1938年玉川電気鉄道を株式譲渡の形で買収し東京横浜電鉄に吸収合併した
1938年東京高速鉄道の常務に就任し渋谷ー虎ノ門間の地下鉄を開通
1939年東横商業女学校設立
1940年東横女子商業学校
1942年京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併し東京急行電鉄を発足
1943年国策により静岡鉄道が成立し初代会長に就任 内閣顧問を命ぜられ木造船の査察使として青森~関西の造船所を回った 二男が戦死する
1944年京王電気軌道を合併、相模鉄道を傘下に収め大東急となる 東條英機内閣の運輸通信大臣に就任する
1945年川崎市電と大師線を桜本駅でつなげる
1947年東條内閣の官僚だった為GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、公職追放を受けるも事実上企業活動に参加 大東急から京浜電気鉄道、小田急電鉄、京王電気軌道を分割し事業譲渡代金を得る 追放解除後は再度東京急行会電鉄会長就任
1948年系列会社東映が倒産寸前に陥るのを、住友銀行頭取から融資を引き出し3年で立ち直らせた
1953年多摩田園都市開発に着手
1955年横井英樹に手を貸し白木屋を東横百貨店に吸収、北海道各地の乗り合いバスを次々と買収、伊豆開発や箱根観光事業を繰り広げた
1959年死の直前再度横井氏と組み、東洋精糖買収に乗り出すが病に倒れ、死後27日目に手放された

今改めて母校の創立者 五島慶太翁の偉大な功績に感じ入るばかりで、想像もつかない程の偉人であり畏敬の念を強くしました。