東京都市大学 等々力中学校・高等学校同窓会

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長年勤務されている先生シリーズ② 書道の藤波先生

 藤波先生が東横学園に赴任されたのは昭和42年です。前任者の難波先生が事情で退任し交代されました。
 専任教員をされながら研究日や土曜日の午後に大学院に通い、修士課程を終了されました。
 当時は教員の退職に定年制がなく、野坂純一郎先生、竹田菊先生、東横学園との合併前、大倉山女子高校の創立者の高野平先生は、その頃80歳を超えて教員をされていました。

 現在の体育館の道路側入り口には、徳川家の屋敷から移築された立派な門があり、堂々とした雰囲気を出していました。
 
 卒業生は大学進学より就職希望者が多く、特に4年制大学の希望者は少なく、進学は本校短大がほとんどでした。
 本校短大は現在と異なり東横学園高校からの推薦入学が難しくて、希望者の7割くらいしか合格しませんでした。
 
 就職コースの卒業生は日銀、富士銀行を初め銀行が主流で、就職率は100パーセントでした。
 就職には珠算が必要不可欠でしたので、珠算の専任教員が二人で天野敏郎先生と宇田川武先生でした。
 どれだけ珠算が重要視されていたかは、体育祭の競技に「暗算競争」と言う種目があった事でわかります。
 数字が書いてある紙を見ながら、暗算をしながらゴールするのです。

 文化祭では書道部と美術部が中心になって制作発表をして、2~3部屋はぎっしりと作品であふれていました。
 舞台では隆盛期の演劇部がトリを務め、大きな演目に挑戦していました。

 また特筆すべきは、水泳部です。
 現在はプールを取り壊してしまいましたが、東横学園は東京都のシンクロナイズドスイミング発祥の地なのです。

 色々と興味深く楽しいお話が聞けてよかったです。