東京都市大学 等々力中学校・高等学校同窓会

東横学園大倉山高等学校同窓会は、2016年3月をもって活動停止いたしました。
同窓会会員の皆様、50有余年の長きに渡り同窓会活動にご協力いただきありがとうございました。

東横学園大倉山高等学校の歴史

理事長あいさつ(五十年史より)

学校法人五島育英会 理事長 山口裕啓
東横学園大倉山高等学校五十年史に寄せて
 東横学園大倉山学校は、昭和15年に大倉山女学校をその前身として創立され、昭和18年に財団法人大倉山学園・大倉山高等女学校となりました。終戦後、学制改革、新教育の実施に伴い、私立学校法により財団法人から学校法人へと組織変更、昭和31年には学校法人五島育英会・東横学園大倉山高等学校となり、爾来五十年に亘り一貫して女子教育に邁進いたしてまいりました。
 この間、今日まで本校が六千名を超える優秀な卒業生を送り出し、社会に貢献してまいることが出来ましたのも、ひとえに支えていただいた関係者の皆様のお蔭でございます。
 その時々の在校生から保護者の方々の学校へのご理解とお子様への愛情、生徒の皆様の卒業されてからの同窓生としての絶えざるご支援とご協力、本校を地域の一員として受け入れてくださった地元の方々の温かい心、加えて歴代の校長をはじめとする教職員の献身と努力、これらに支えられて本校の50年の歴史が作られました。関係者各位の絶大なるご支援に厚く御礼申し上げる次第です。
 本校は、建学の精神等優れた理想を掲げ、私学ならではの独自の理念に沿った良質の教育を通して豊かな人間性と広い視野を持つ優れた人材を育成してまいりましたが、平成20年3月の卒業生を最後として、姉妹校である東横学園高等学校と統合し、この地を離れることとなりました。両校の統合が定められてからの三年間は、重永校長、佐野教頭をはじめとする本校教職員が、厳しい環境の下で、関係者各位のご懸念を払拭し、本校の教育の質の維持・向上を計られ、大倉山の地から最後となる卒業生を無事送り出されたことは、特筆に価すると思います。
 本校のよき伝統が統合先の東横学園高等学校と融合し、より魅力のある学園の創造に向けて、更なる発展を遂げることが可能となりますよう、関係者各位の皆様方のより一層のご支援、ご協力を切にお願い申し上げます。
学校法人五島育英会 理事長
山口 裕啓

沿革

元号 周年 3月卒業回期 年度在籍数 摘要
昭和32年 0 120 東横学園大倉山高等学校・同幼稚園 第1回入学式(募集定員2クラス100名)
昭和33年 1 229 第2回入学式 2学年そろう
昭和34年 2 347 修学旅行北海道8日間 第3回入学式 全学年そろう 臨海学校開始
昭和35年 3 1 311 第1回卒業式(第1回卒業式記念品:卒業期名入れテント)
昭和36年 4 2 325 第5回体育祭(本校校庭) 体育祭で仮装行列
昭和37年 5 3 370 第1回文化芸能発表会 本校初の校舎全景航空写真撮影
昭和38年 6 4 406 クラブ活動(部活動)の合宿を始める-この年はバスケットボール部とバレー部 富士登山
第1回学園祭(文化芸能発表会を発展) 入学志願者550名
昭和39年 7 5 495 3月校舎増築(4教室) 2クラス募集から3クラス募集へ募集定員増 富士登山
東海道新幹線開通(霊峰富士とともに教室窓外風景名勝となる)
昭和40年 8 6 486 バスケットボール部県大会優勝(岐阜国体に出場)
昭和41年 9 7 508 バスケットボール部県大会優勝(インターハイ全国大会in秋田:ベスト16進出)
昭和42年 10 8 418 バスケットボール部県大会優勝(インターハイ全国大会in金沢に出場)
4月大倉山幼稚園を東横学園野川幼稚園に統合移管
西校舎改装(鉄筋コンクリート3階建て)
※校舎改装工事のためのこの前後体育祭中止。1971年再開まで体育祭を実施せず
昭和43年 11 9 406 学園祭後夜祭で校庭キャンプファイヤー
昭和44年 12 10 397 学園祭後夜祭で校庭キャンプファイヤー
昭和45年 13 11 465 6月体育館、屋内プール竣工、3月卒業式の建設中の新体育館フロアで挙行
プール開きにオリンピック水泳選手橋爪四郎氏来校。あわせて同氏記念講演。
昭和46年 14 12 477 体育祭を再開(川崎市等々力「東急グラウンド」で実施することにして再開)
卒業記念植樹「桐」
昭和47年 15 13 469 卒業記念植樹「椿:白乙女」 学園祭後夜祭で校庭キャンドルファイヤー
昭和48年 16 14 444 学園祭後夜祭で校庭キャンドルファイヤー
昭和49年 17 15 420 信州長野県白樺湖にて林間学校開始
昭和50年 18 16 409 学園祭で火文字を始める(この後1981年までキャンドルファイヤーと併行)
昭和51年 19 17 390 この頃、北海道修学旅行10泊11日が日本一長い修学旅行として雑誌掲載
昭和52年 20 18 395 東校舎改装(鉄筋コンクリート3階建て)
書道全国大会出品(全国高校総合文化祭)①
昭和53年 21 19 372 学園祭でキャンドルファイヤー
昭和54年 22 20 354 台風禍(体育館屋根が全てめくれあがる) 初の九州修学旅行(翌年北海道に戻す)
昭和55年 23 21 338 学園祭で飲食店規制(研究発表展示に重点)の試み
昭和56年 24 22 364 学園祭飲食店規制緩和 学園祭後夜祭最後のキャンドルファイヤー
昭和57年 25 23 331 創立25周年誌発刊
昭和58年 26 24 325 華道を必修授業科目とする
校内廊下各所に「姿見大鏡」を設置(卒業記念品)
昭和59年 27 25 338 本年を最後に林間学校宿泊ホテルを清明荘からホテルプリンスシラカバに変更
昭和60年 28 26 362 夏季保育園実習開始(神奈川三保育園と提携)、見上げる時計塔設置(卒業記念品)
2回目の九州修学旅行(翌年北海道に戻す)
昭和61年 29 27 393 「気品」ビーナス像設置(卒業記念品)
昭和62年 30 28 393 創立30周年記念式典 30周年誌創刊 学園祭火文字でナイヤガラ花火始める
3回目の九州修学旅行(翌年北海道に戻す)
昭和63年 31 29 404 本年度より英語ネイティブ教員(講師)を毎年採用(昭和40年代にも一時採用)
学園祭火文字でナイヤガラとともに打ち上げ花火も始める
平成元年 32 30 433 体育祭会場を横浜市三ツ沢競技場(サブグラウンド)に移す
本年より九州修学旅行に定着させる
学園祭「辰ちゃんとママさんカレー」開始(梅宮辰夫さん直伝)
平成2年 33 31 439 ホームステイ開始(カナダ) 書道全国大会出品(全国高校総合文化祭)②
梅宮辰夫氏講演会
平成3年 34 32 440 太尾町会祭礼御神輿が本校へ行幸交流
平成4年 35 33 401 ホームステイ、米国オレゴン州に変更 超高層新横浜プリンスホテル竣工
平成5年 36 34 349 学園祭が神奈川新聞で報道される 超高層ランドマークタワー竣工(音楽室・体育館3階より望める) 第109回芥川賞作家 吉目木晴彦氏講演会(武蔵工大付属高校卒業)
平成6年 37 35 359 学園祭が各新聞・TVKテレビで報道される 外国留学制度開始
山桜が横浜市名木(樹齢260年)に指定 港北区駅伝大会にバスケット部等出場開始
平成7年 38 36 364 学園祭が各新聞・フジテレビで報道される エアロバイクを体育館に設置
平成8年 39 37 408 県高校体育連盟総合開会式本校選手団行進パフォーマンスが神奈川新聞で報道
平成9年 40 38 375 外国人留学生受け入れ開始 サモトラケのニケ像設置(40周年記念)
平成10年 41 39 406 文部省:学校教育光ファイバーネットワーク事業推進指定校(私学は全国で9校)
ダンス部この年より8年連続県コンクール上位入賞(最高3位)
卒業音楽会を始める(~平成19年)
かながわ・ゆめ国体 ヨット競技全国4位入賞(校外クラブチーム所属で出場)
平成11年 42 40 401 学校公式ホームページ開設
平成12年 43 41 457 中国人短期留学生交流開始 大倉山商店街ボランティア美化活動開始
平成13年 44 42 401 第1回沖縄総合学習旅行中止(9・11テロ) 同窓会よりグラウンドピアノ寄贈
文化講演会櫻井よし子氏講演
平成14年 45 43 362 修学旅行北海道(3年)修学旅行隠岐島(2年) オープンスクール開始
文化講演(人道目的の地雷除去支援の会)
平成15年 46 44 275 初の沖縄総合学習旅行(以降毎年) 書道全国大会出品(全国高校総合文化祭)③
師岡熊野神社七夕星祭に太鼓部、吹奏楽部、書道部の演奏並びに展示参加開始
平成16年 47 45 241 ダンス部全国ダンスフェスティバルin神戸に県協会推薦で出場(~平成17年)
吹奏楽部、この年から県高校体育連盟総合開会式で吹奏楽演奏
文化演奏(薬物問題について&神谷美恵子について:須田美代子氏)
平成17年 48 46 236 5月24日募集停止決定 本年より林間学校にかえてBritish Hills(英国村)体験を実施
8月より教育三ヵ年計画開始 9月よりWeb校長先生日記開始
書道全国大会出品(全国高校総合文化祭)④ 文化講演(古今亭菊千代師匠)
ダンス部この年で8年連続県コンクール上位入賞(最高3位)、全国フェスティバルへ
ボランティア委員会、横浜市長より「環境行動賞」表彰
平成18年 49 47 152 寺内タケシ&ブルージーンズコンサート 太尾町会祭礼御神輿行幸交流
太鼓部、太鼓演奏を馬車道保育園に伝授継承
学園祭火文字の伝統、上智短期大学及び学童わんぱくクラブが継承
平成19年 50 48 72 第45回体育祭 第44回学園祭1,463人来客(生徒一人当たり20人集客)
後援会事業カンボジア学校建設(バッタンバン州ターナッ小学校)
書道「書の甲子園(国際高校生選抜書展)」大賞受賞(新聞報道・TV放映)
太尾町会祭礼御神輿行幸交流 卒業記念講演小山内美江子氏講演
平成20年 49 第49回卒業式(累計卒業生6,283名) 大倉山五十年・統合記念式典
卒業記念文化講演新垣勉氏オペラ歌唱講演in保土ヶ谷公園ホール
4月1日東横学園統合 6月1日同窓会総会(新横浜プリンスホテル 鈴木とも恵さん歌唱)
平成21年 東京都市大学発足(武蔵工業大学・東横学園女子短期大学統合に伴う名称変更)
五島育英会グループ校はすべて「東京都市大学」を冠とする名称に変更

本校全景航空写真

昭和37年:1962年(創立6年)
  • 全木造校舎・赤い屋根だった
  • 正門は今より東寄りだった
  • 今の正門のところまで校庭が広がっていたので、体育祭を校庭まで実施していた。
  • 現体育館の場所は、高校教室と大倉山学園高野校長宅
  • その北側が大倉山幼稚園
  • 校庭から校舎へ上る階段が土手中央をジグザグに走る
  • 綱島街道は車がちらほら
  • 現セブンイレブンの隣地は池
  • 本校裏門に通じる坂道の横は全くの空き地(草地)だった
  • 裏門のスペースはなかった
  • 学校周辺は今より畑地多し
  • この5年後、西校舎が鉄筋コンクリートに 8年後に体育館が建設される

平成4年:1992年(創立36年)
  • 全鉄筋コンクリート校舎
  • 正門は西館鉄筋コンクリート化と体育館建設に伴い、創立当初の東側寄りから南面に移った。
  • 土手中央のジグザグの階段がなくなった
  • 体育館により校庭が狭くなり、体育祭は外部グラウンド(川崎市等々力競技場、後に三ツ沢競技場)を借りて実施するようになった。
  • 学校周辺はほとんど建物で埋め尽くされている。
  • 正門から綱島街道におりると、その向かい側に「京樽」があった。この写真のあと数年後にライオンズマンションに替わった。

校舎写真

歴代卒業記念品

卒業年 品名
「※写真」とあるものは右側に写真掲載
昭和35年 第1期生 テント一式
昭和36年 第2期生
昭和37年 第3期生
昭和38年 第4期生
昭和39年 第5期生 教育用テレビ
昭和40年 第6期生 放送室 音響装置(ナショナル製)
昭和41年 第7期生 アコーディオン
昭和42年 第8期生 テント一式
昭和43年 第9期生
昭和44年 第10期生 ステレオセット コロンビア
昭和45年 第11期生 体育館 緞帳開閉装置
昭和46年 第12期生 植樹「桐」
昭和47年 第13期生 植樹「椿 白乙女」 ※写真
昭和48年 第14期生 大時計(振り子式:校長室廊下前)
昭和49年 第15期生
昭和50年 第16期生 教室掲示板
昭和51年 第17期生
昭和52年 第18期生
昭和53年 第19期生
昭和54年 第20期生
昭和55年 第21期生
昭和56年 第22期生 体育館丸型大時計 ※写真
昭和57年 第23期生
昭和58年 第24期生 テント一式
階段掲示姿見大鏡 ※写真
昭和59年 第25期生
昭和60年 第26期生 「見上げる時計塔」(正門玄関) ※写真
昭和61年 第27期生 「気品」ビーナス像(正門) ※写真
昭和62年 第28期生 テント一式&テープレコーダー
昭和63年 第29期生 体育館 石油ストーブ
平成元年 第30期生 「建学の精神」ならびに「校歌」掲額(体育館) ※写真
平成2年 第31期生 石油ストーブ トヨKB-15E
平成3年 第32期生 家庭科 冷蔵庫 東芝GR 400リットル
平成4年 第33期生 垂直式救助袋
平成5年 第34期生 体育館 防球ネット
平成6年 第35期生 ビジュアルプレゼンター・テレビセット/エルモEV368
平成7年 第36期生 エアロバイク(エルゴサイザーEC-1200)・鉄アレイ
平成8年 第37期生 パソコン一式、プリンター
平成9年 第38期生 パソコン一式
世界大百科事典CDソフト
40周年後援会寄贈 サモトラケのニケ ブロンズ像(40周年記念) ※写真
平成10年 第39期生 パソコン一式&イメージスキャナソフトドライブ ※写真
平成11年 第40期生 パソコン一式&ノート型パソコン
平成12年 第41期生 パソコンMA45 NEC
平成13年 第42期生 パワープロジェクター一式
同窓会寄贈 グランドピアノ(音楽室) ※写真
平成14年 第43期生 サーバーコンピューター
カラーレーザープリンタ
平成15年 第44期生 ファイヤーウォール
メールサーバーシステム
平成16年 第45期生 ホール 受講用テーブル
平成17年 第46期生 太陽電池式大時計取替え ※写真
平成18年 第47期生
平成19年 第48期生
平成20年 第49期生 体育館舞台緞帳校名刺繍の永久保存 ※写真

同窓会のあゆみ

元号 月日 摘要
昭和35年 本同窓会設立
5月5日 会則施行
昭和47年 11月19日 会則改定
平成9年 6月 再建プレ総会(学校体育館にて)
平成10年 第1回会報発行
5月31日 会則改定
6月 再建第1回総会を開く(新横浜プリンスホテルにて)
平成13年 同窓生に寄付募りグランドピアノを学校へ贈る
平成16年 この年より会報を「山桜」とし文字を佐野先生に頂く
平成17年 東横学園等々力校との統合決まる
平成19年 大倉山高校創立50周年
平成20年 3月 最後の49期生卒業
4月 等々力校と統合(東京都市大学と校名変更)
6月1日 会則改定
平成21年 記念総会(新横浜プリンスホテルにて)
平成23年 初めてブログで会報発行(重永先生校長日記より)
東京都市大学等々力中学・高等学校同窓会設立、支部となる。
平成24年 6月10日 会則改定
平成26年 6月 代表者会にて27年度を以って本同窓会の閉鎖が決議される
平成27年 6月 会報最終号の発行
11月3日 グランドフイナーレ総会開催
平成28年 3月 東横学園大倉山高等学校同窓会 閉鎖