同窓会事務局ブログ詳細
新しくお迎えした先生 ②石田温則先生
平成22年度4月、教務顧問として着任された石田先生を紹介いたします。
大学でのご専門は言語学でした。
人間は生まれながらに言語が決まっている。
つまりこれは、出生した国・地域によって決まっている言語(=文化)を出生時点では選べないと言う意味です。
そして「言葉は人間のあらゆる活動=文化によって変わる。」と言われました。
言語は文化活動の所産であって、同時に生き物であり、その「言語発達学」を研究されました。
専門の言語学と関連するとも言える「芝居」に明け暮れた大学生活を送られましたが、スタートは高校時代に10名ほどで活動されたクラブ活動の「演劇部」でした。
大学での芝居は中心的に活動する10名に加えて、1回毎に内容を理解と賛同した役者を10名ほど選んで公演しました。
年に2回ほどの公演は、当時流行っていた築地小劇場からの新劇に対し、アンチ新劇とも言えるものでした。
豊富な資金があるわけではありませんので、50席~100席の劇場への支払いは大変な苦労でした。
ですからテント小屋公演もありました。
資金調達はすべて学生役者のアルバイトでしたから、勉学よりもアルバイトの方が忙しかったかも知れません。
公演内容は外国もの、日本ものどちらもありました。
入場料は当時無税だった99円でした。
現在も3000円以上の入場料には税金が1段階多めにかかりますが、当時は入場料を無税の99円にして経費削減と観劇し易さを図っていました。
しかしある時、ご自分と他メンバーとのある芝居を巡っての意見の違いから芝居を離れる事になりました。
東ヨーロッパを舞台にした芝居でしたが、1組の男女を題材にした政治劇を目指した先生に対して、出来あがった芝居はベタベタのロミオとジュリエットになってしまったからです。
しかも主演の男女が本物の恋愛関係に陥り、リアルなラブラブ芝居として大成功に終わったので、失意のうちに芝居から離れざるを得ませんでした。
高校を卒業後、故郷の福島を離れ東京の大学でひとり暮らしをされた先生が、大学卒業後に就いたお仕事は塾の教師でした。
その塾の方針が数年後、次第にご自分の考え方と変化をして来るのを感じられ、お辞めになりました。
その後ご自身で塾を立ち上げられましたが、やはり方向性の変化に気づかれ他の方にまかせて、手を退かれました。
その後都市大等々力で先生と巡り会う事ができるのですが、現在もお忙しくマルチな活動を展開中でおられます。
都市大等々力に出校されない日は、NPOが運営する小学生と中学生が在籍する施設で指導をされています。
ここでの指導には専門の免許を必要とし、日曜日には午前9時から19時まで1対1の真剣勝負の指導が行われています。
先生の熱心な指導を受ける事ができる幸運な生徒達の頭脳に知的な物が増えると、表面に出る障害が段々と少なくなって来るそうです。
何と素晴らしいことでしょう。
さて、次に先生の趣味についてお聞きしました。
お仕事を兼ねての2泊くらいの京都旅行です。
先生にとっての京都は、大変に気持ちが落ち着く場所で、ホットなさる所になっている様です。
毎年春季、夏季、冬季講習の時期に大阪の塾で講師を熱く指導されています。
その折にお気に入りの京都まで足を延ばしお疲れを癒し、体調をリフレッシュされパワーを貯めて東京にお戻りになられます。
最後にお気に入りの作家についてお聞きしました所、アメリカの男性 探偵小説家のロバート・B・パーカーと言う名前が返ってきました。
是非私も読んで見たくなり、図書館を探して見ましたら置いてありませんでしたので、申請を出しました。
大変に温厚なお人柄の先生で、私達教員をより良い方へ導いて下さる有り難い存在です。
大学でのご専門は言語学でした。
人間は生まれながらに言語が決まっている。
つまりこれは、出生した国・地域によって決まっている言語(=文化)を出生時点では選べないと言う意味です。
そして「言葉は人間のあらゆる活動=文化によって変わる。」と言われました。
言語は文化活動の所産であって、同時に生き物であり、その「言語発達学」を研究されました。
専門の言語学と関連するとも言える「芝居」に明け暮れた大学生活を送られましたが、スタートは高校時代に10名ほどで活動されたクラブ活動の「演劇部」でした。
大学での芝居は中心的に活動する10名に加えて、1回毎に内容を理解と賛同した役者を10名ほど選んで公演しました。
年に2回ほどの公演は、当時流行っていた築地小劇場からの新劇に対し、アンチ新劇とも言えるものでした。
豊富な資金があるわけではありませんので、50席~100席の劇場への支払いは大変な苦労でした。
ですからテント小屋公演もありました。
資金調達はすべて学生役者のアルバイトでしたから、勉学よりもアルバイトの方が忙しかったかも知れません。
公演内容は外国もの、日本ものどちらもありました。
入場料は当時無税だった99円でした。
現在も3000円以上の入場料には税金が1段階多めにかかりますが、当時は入場料を無税の99円にして経費削減と観劇し易さを図っていました。
しかしある時、ご自分と他メンバーとのある芝居を巡っての意見の違いから芝居を離れる事になりました。
東ヨーロッパを舞台にした芝居でしたが、1組の男女を題材にした政治劇を目指した先生に対して、出来あがった芝居はベタベタのロミオとジュリエットになってしまったからです。
しかも主演の男女が本物の恋愛関係に陥り、リアルなラブラブ芝居として大成功に終わったので、失意のうちに芝居から離れざるを得ませんでした。
高校を卒業後、故郷の福島を離れ東京の大学でひとり暮らしをされた先生が、大学卒業後に就いたお仕事は塾の教師でした。
その塾の方針が数年後、次第にご自分の考え方と変化をして来るのを感じられ、お辞めになりました。
その後ご自身で塾を立ち上げられましたが、やはり方向性の変化に気づかれ他の方にまかせて、手を退かれました。
その後都市大等々力で先生と巡り会う事ができるのですが、現在もお忙しくマルチな活動を展開中でおられます。
都市大等々力に出校されない日は、NPOが運営する小学生と中学生が在籍する施設で指導をされています。
ここでの指導には専門の免許を必要とし、日曜日には午前9時から19時まで1対1の真剣勝負の指導が行われています。
先生の熱心な指導を受ける事ができる幸運な生徒達の頭脳に知的な物が増えると、表面に出る障害が段々と少なくなって来るそうです。
何と素晴らしいことでしょう。
さて、次に先生の趣味についてお聞きしました。
お仕事を兼ねての2泊くらいの京都旅行です。
先生にとっての京都は、大変に気持ちが落ち着く場所で、ホットなさる所になっている様です。
毎年春季、夏季、冬季講習の時期に大阪の塾で講師を熱く指導されています。
その折にお気に入りの京都まで足を延ばしお疲れを癒し、体調をリフレッシュされパワーを貯めて東京にお戻りになられます。
最後にお気に入りの作家についてお聞きしました所、アメリカの男性 探偵小説家のロバート・B・パーカーと言う名前が返ってきました。
是非私も読んで見たくなり、図書館を探して見ましたら置いてありませんでしたので、申請を出しました。
大変に温厚なお人柄の先生で、私達教員をより良い方へ導いて下さる有り難い存在です。